平和都市モンゴリアンダイナマイト

映画の感想を1割と自分語り9割なので評価の参考にはなりませんが、読んで欲しい。 致命的ネタバレはしないように気をつけてます

負け犬の美学(2017)

「今日は勝った?」

「惜しかった」

深夜、自宅でさっきまで寝ていた娘の質問に答える45歳ボクサーのスティーブ。戦歴は8割が負け。引退間近。家は貧乏…そんな折に、ジムに高給のスパーリングパートナーの仕事の話が舞い込む

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負け犬の美学」は日本で10月12日に公開された映画。負け犬なりに何ができるか、そして負け犬のままなのか、一人の男が己に決着をつけるラストは最高だった。なんか親子愛とか感動とかそういうふうな映画っぽく宣伝打たれてて、自分も最初にこの宣伝みて騙されて「お涙頂戴家族愛ィ〜?見なくて良いかー」とか思ってたから危ない。

 

普段は家で古い映画ばかり見ている俺だけど、せっかく東京に行く機会だからと劇場へ見に行った。

俺は映画好きを自称しながら映画館には行かないので、初めて会う人たちは皆意外そうな顔をする。

別に最近の映画を嫌ってるわけじゃないし、誰かに見に行こうと誘われれば作品内容が避けたいものじゃなければ行くし、たまに気まぐれに一人で行ったりもする。でも本当にいくことが少ない。それは昔から今も変わってないと思う。

 

俺の映画好きとしての映画への向き合い方は最初はゲオでのレンタルから始まったけど、レンタルは返しに行くのが面倒だしディスクに傷がついてることもあるし(ゴジラがスーパーメカゴジラと戦いだした瞬間に止まったことがあった)吹き替えも付いてないことが多い。

だからバイトで自分の金を持ち出してからDVDを買うようになった。

幼少の頃からチョコエッグやグリコ、ウルトラ怪獣のガチャガチャのフィギュアを収集するのが趣味だったのでDVDで棚が埋まっていくのが楽しかったし、同じ本を何度も楽しんで読むような小中学時代だったので同じ映画も何度見ても楽しかった。

で、家で寝そべりながら何にも邪魔されない映画視聴に慣れた結果、制約が多い映画館というものに少なからずの抵抗が生まれたのかもしれない。

 

「制約が多い」っていうけど、スマホの電源切ったり、横の人と喋っちゃだめだったり、普通の人間なら普通に映画見てれば勝手にクリアされるような制約しかないじゃん。

 

まあ事実そうなんだけど、俺にとっての制約はさらにきついのだ。意味がわからないよね。

 

自分で思うのだけど、俺は地面にポイ捨てがあったり、赤信号で渡ってる人を見たら多分他の人間に比べて強めに不快になってるんじゃなかろうか。

元々北海道に住んでるところから東京に来て今は横浜に住んでるんだけど、まあ本当にこっちの都会は道が汚いし夜になれば客引きも多い。

TOHOシネマズは映画好きとして一応憧れていた場所だったけど、出入り口を出たら目の前に広がるのは風俗店とか小汚いヤカラとか道に捨てられてるゴミとか、なんかすごく幻滅。映画の余韻も不快感で消し飛んだ。空気もドブ臭く感じた。これが東京かよ…と失望。

 

俺は魚をまともに食えない奴の姿を見るのが嫌い。

食事マナーについては特別なんだと思っているわけではない。パスタをすすろうが、ラーメンをすすらずに食おうが、茶碗に口をつけてカキ込んで飯を食おうが、床に落ちてるものを拾って食おうがよっぽど礼儀を重んじなければいけないシチュエーションじゃなければ他人がやっても自分がやってもなんとも思わない。(なんかすごい音立ててたりしたら流石にダメだと思うけど)

でも魚の食べ方に関しては食えるところを残して皿を下げたりするわけで、それはお魚さんに失礼なので見てて「は?」ってキレてしまう。俺に直接の迷惑はかかってないけどキレたくなる。大学の食堂は育ちの悪い奴ばかりで人生で最も怒りを感じる食事の場だった。飯食ってても周りが気になりすぎてずーっと味なんて感じずイライラしてしまった。お前ら一生ハンバーグ食ってろよ。同じ感覚でご飯粒を残す人もダメ。

 

多分これは典型的な神経質という奴なんだろうか、他人にもそう言われたことがある。自分で「これはダメだ」と思えば、それがこの世のルールに抵触していないことでもとことんダメになってしまうのだ。

これがいけない。

小学生の頃、同じマンションに住んでいていつも行き帰りを共にする友人がいた。小学生の頃は仲良くしていたが、そいつは中学から事あるごとに癇癪を起こすようになり、まるで別人のように思えて一緒に歩く道ではあまり、というかほとんど喋らなくなった。

すると、そいつの行動1つ1つがなんだか見ていてムカつくようになってきた。頭をかく、咳払い、カバンの肩掛けを手で直す、指の関節を鳴らす。

そいつが嫌いになったからそいつの行動も嫌いになったとそう思っていたが実はそうではなくて、一定以上の親しさを持たない相手の行動を見続けるのが俺は無理なんだとのちに気づいた。

中学生の頃、レッドクリフを知り合いと5人で見に行った時。俺以外の4人中3人は他人同然くらいに思っている奴で、そいつらは俺の前に座った。上映中のの仕草や行動が本当に無理だった。イライラした。だからレッドクリフは見たけど内容は中村獅童が魚の脂爆弾で自爆したカッコイイシーン以外全部覚えてない。

高校はバス通学になった。帰りのバスとかで前にいる奴が二人組で声がでかいか動きの多いやつだったらすげーイライラした。イヤホンで音楽を聴くと気にならなくなるので外にいるときは常に聴くようになった。

北海道は冬になると歩道に雪山が積まれるため、道が極端に狭くなることがある。高3で引っ越した家の前はそんな道だらけで、前の人の歩行速度がどんなに遅くても抜かせない。すると前の人を嫌でも視界に入れ続けながら歩かなきゃならない。ダメ…

 

咳払いをすると「咳払いしてんじゃねえぞ」って思うし鼻をすすると「鼻をすするな」って思う。本当に1分とか一緒にいるだけならなんとも思わないし、少しでも会話をしていて楽しいと思える相手なら何をしようが良い。でも一定以下の友好度の人間と数分以上いると、本当の本当に、何か特徴的な行動を見るたびに不快になっていく。

最近は「カメラを止めるな」を見に行った。横の女の人が、笑う時に顔の前で何度か手を叩くタイプの人だった。

 

 

でも映画館で観る映画の素晴らしさは知ってるし、もし仲良い人と一緒なら何も気にならないので映画館自体は大好きだ。

今回新宿シネマカリテで「負け犬の美学」を見に行ったときは最前列で見たし隣が仲良しのフォロワーだから苦味ゼロって感じで素晴らしい時間だった。シネマカリテ、良い映画館だぞ!

 

と、ここで記事を終わっても良いんだけどその前に

俺はアイドルを追ってて、でもそのアイドルグループが活動を終了したためにアイドル現場に行くこともなくなった。これからはもうアイドル現場は行かないと思う。その理由はここまで読んでもらえるとわかると思うんだけど、

よくこんな頭のおかしいカンカクを持った俺が現場に参加し続けられたな、すごいな、俺。

そしてここまで楽しまさせてくれたアイドルグループの皆さん、本当に凄いです。

って思いました ということで!