平和都市モンゴリアンダイナマイト

映画の感想を1割と自分語り9割なので評価の参考にはなりませんが、読んで欲しい。 致命的ネタバレはしないように気をつけてます

創作短編:雪花火

 

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冬の北海道は道がほとんど白い雪で覆われているが、駐車場や大きな商業施設の前はロードヒーティングが敷かれており、うっすらと湯気を浮かせながら黒いアスファルトを剥き出している。

そこへ雪玉をぽーんと上へ放り投げて落とすと、ドシャッと潰れて綺麗に破片を周囲に伸ばしてから少しずつ消えて無くなっていく。

私は小学1年生の頃に見つけたこの遊びを「雪花火」と名付け、毎日駐車場の前を通る時に雪玉を投げ落としてはその様を見ていた。毎日毎日、何かに取り憑かれたように必ずやっていた。高いところから落とせば大きな花火になることに気づいてからは、なるべく高く放り投げて落とすようになった。雪花火はどんどん大きく広がるようになり、このなんでもない行為に自分が夢中になっていくのがわかった。

ある日高く投げることに限界を感じた私は駐車場の屋根の上に登って雪玉を投げ落とそうとしたが、投げる前に通りがかりの男に注意されてしまった。道を歩いている人に雪をぶつけようとしているように見えたか、はたまた駐車されている車にいたずらをしているように見えたのか。男のいささか強めの口調を浴びた私は、そそくさと帰宅した。

翌日から私は、雪花火をするとまた怒られてしまう気がして駐車場を素通りするようになった。

雪花火を自粛してから、雪の中に色水を入れたら綺麗なんだろうかとか、つららを混ぜたらどうなるんだろうとか、小学生相応の夢のあるアイデアが私の頭の中に次々と浮かんだ。でもやっぱり最後に考えるのは”もっと高いところから落としてみたい”。

今でも何故ここまで固執していたのが不思議でならない。とてつもなく強い執念が小学生の私の頭にはあった。

雪花火をやめてから1ヶ月経つか経たないかだろうか、駐車場を横切った時、ドシャッと音がした。

黒い塊が落ちていた。よく見るとカラスの死体のようだった。驚きながらも、空を飛んだり木に止まっている時と死んだ後だとカラスは全然違う形になるんだなと呑気に思いながら帰宅した。この日から雪花火のことは考えなくなり、自然に忘れていった。

 

それから2年後だろうか、忘れていた雪花火をつい思い出す出来事があった。ビルの上から鉄の工具のようなものがガコーンと音を立てて落下したのを見たのである。奇跡的に周囲には誰もおらず私も横断歩道を1つ挟んだ位置で見ていたので大事には至らなかったが、私の頭の中には潰れ散る雪玉のイメージのあとに、もっと生々しいものが浮かんだ。ロードヒーティングで雪が積もらず剥き出された真っ黒のアスファルトを僅かに削った工具の形は、もう覚えていない。

この日から、雪花火のことを考えたく無いと思うようになった。でも、私はなんだか雪玉を投げ落とさなければいけない気になっていた。

そして私は毎年雪が降ると必ず一度は雪花火をする義務を自分に課した。その時からカラスの死体も重そうな工具も落ちてきたのを見たことはない。

時は経って大学四年、コロリと手からこぼすように小さな雪玉をアスファルトの上に落としたのを最後に私は雪花火をやっていない。就職で東京に越したのだ。

今年の正月に帰省した時には忘れてしまったが、来年は思い出さなければ。