スタンド・バイ・ミー(1986)
「弁護士クリス・チェンバーズ 刺殺」の新聞記事を見かけた作家のゴードンは、自分の少年時代、同級生の仲間たちと旅に出た思い出を脳裏に蘇らせる。「あの12歳の時のような友達は、もう二度とできないだろう。」
言わずと知れた名作なんですけど、本当にこの映画の雰囲気はものすごいんですよね。ロケーションや子供達の仕草に台詞 そして劇伴が見事に一丸となって視聴者をエモくさせてきます。
本当に何度でも見ようという気になる傑作です。
今回は趣味の話から始めます。これは本題ではないんですけども。
映画以外のコンテンツに対しては基本的に「趣味」と呼べるほどのめり込んでいないのだけど、一時期ちょいハマりした結果あるていどの話ができるくらいのやつなら人並みにあります。
小学生の頃は「チョコエッグ」の動物フィギュアを買いあさってズラーっと棚に並べていました。
チョコエッグは基本的に1フィギュア1動物なんですが、「ムツゴロウ監修シリーズ」という1フィギュア中に2匹以上の動物が造形されているものが一瞬売られていまして、(たしか動物フィギュア時代末期近く)(チョコにバナナ味が混じってた気がする)
そのシリーズ中はカプセルに封入されているスクラッチくじを当てると金メッキのセンザンコウが当たるというキャンペーンもやっていました。
母と歯医者行った帰りとか、デパートに連れていかれた帰りとか、テストで良い点とった時とか、母の給料日とか、そういうタイミングってなんか些細なものを買ってくれることがありますよね。もう全部チョコエッグをリクエストしましたよ。で、見事金メッキのが当たってめちゃくちゃ嬉しかったんです。
高校生になるまでチョコレートの苦味が嫌いで食えなかったから、チョコエッグにどハマりしておきながらチョコは全部両親に食べてもらってたんですけどね。めちゃくちゃハマってました。
で、なんかその後飽きちゃったんですよね。
最近スターウォーズのチョコエッグが見切り品で売ってて懐かしさに買ってみたけど、フィギュアよりチョコの方にアドを感じてました。
中学生の頃は…何にハマってたかな、ウルトラマンだったと思います。
セブン、帰マン、初代、タロウを近所のゲオでチマチマとレンタルしつつリアタイで大怪獣バトルを見ていました。なんか動画サイトでエースやレオの戦ってるシーンの動画も見たりしてた記憶があります。
今思えば映画趣味の原型がこのウルトラマンにハマったときにできたのかもしれませんね。
最終的に帰ってきたウルトラマンが作品的に、タロウの東光太郎さんがキャラクター的にマイベストワンです。
怪獣は帰マンのゴキネズラがお気に入りで、その回の始まり方も好きだしMAT新隊長のかっこよをメインに据えた演出も良かったし、
何よりゴキネズラが地味で薄汚い外見から想像できない動体視力を見せてミサイルを両手や口でキャッチして飛んでる飛行機に投げ返して攻撃するシーンが大好きですね。
ゴキネズラ、口からプラスチックかなんかの繊維みたいなのを吐き出したり、めっちゃ強いんですよ。なのにニューヨークにもう1匹出てるらしきことが作中隊長の口から語られるんです。こわいですねえ
当時のゴミ問題の風刺をしつつMAT新隊長を見事に引き立たせた名話ですね。
でもウルトラマンもその時がピークで、まあ今も好きなんですけど現行作品追うとか全くしてないんですよ。
高校になると小遣いが増え、なし崩し的に行動範囲が増え、ブックオフやアニメイトなどのオタクカルチャーショップに友達と行くことが増えました。
パソコンも買ってもらって、Amazonなんかも自分のアカウントを作りました。
そこでハマったのがスーファミでしたね。なんで?
スーファミ、とにかくカセットが安いのが良いのでクソゲーでも怒りが湧いてこず楽しめるし、逆に名作という名作も分かりきっているので地雷が無いんです。貧乏な家で育った上、比較的ゲームをあまりやってこなかった俺はこのスーファミワールドを住処としてブックオフで雑にドカドカとカセットを買いあさり、友達を呼んで遊び、また買いを繰り返していました。
スーファミゲーのマイベストは一人用なら「ニンジャウォーリーアーズアゲイン」、二人用なら「スマッシュTV」ですね。
ニンジャウォーリーアーズアゲインは横スクロールのアクションなんですけど本当にテンポが良くて、スーファミゲーでありながら無双ゲーさながらな爽快感で敵をちぎっては投げちぎっては投げ。それでいてボスや後半ステージはゴリ押しが通らず、考えながらのプレイが求められます。しかし何より良いのがこれ、「魅せプレイがすごく楽しい」ですね。気持ちよく三角飛びキックを連続で決めたりゲージ消費の大技でボスにトドメを刺す快感は凄まじく、ゲームの中毒性を確実に高めています。
スマッシュTVは操作がものすごく直感的にできるので、慣れとかそういうのを超越するレベルで初めてプレイするお友達でもサッと深く遊べます。とりあえず人を家に呼んだらこれ。
ゲーム内容はトップビュー視点の全方位固定画面シューティングで、本当にありえないくらいすごい量出てくる敵からなんとか逃げながら全員銃殺するゲームです。洋ゲーだけあって難易度は札付きなんですけど、だれとやっても必ず盛り上がる最高のゲームです。
でもまあ、高校生の頃は毎日やってたけど今は2ヶ月に一回くらいの稼働ですね。ソフトも長らく買ってません。
や、そりゃそうなんですけども。寿命まで毎日スーファミやってる90年代生まれはヤバイでしょ。
というかチョコエッグだのスーファミに限らず、なんかにハマっててもいつか飽きるのは普通ですよね。天寿を全うするまでコンテンツを愛し続けるのって難しいんですよ。普通はそうです。
最近それに気づきました。
話が変わります。
人間関係についても少し似たような気づきがあります。
だれかに対して友好的な感情を抱き、仲良くなり、会話をするようになるとしますね。
でもいつの日か引っ越して離れたり、学校が変わったり、仕事が忙しくて会う時間がなくなったり、喧嘩して口をきかなくなったり。何かの理由でそいつと離れる機会が訪れたりします。
その期間が2ヶ月だろうが2年だろうが、とにかく一度離れた状態になった後で友好的な関係性は劣化してしまう。よくある話だと思います。
自分もそういう人間はリアルにもネットにも沢山いた気がします。半年だけ仲良くなってクラス変わって合わなくなった高校のクラスメイト、いつも一緒に弁当食ってたはずなのにもう名前も思い出せんのですよね。
ツイッターでも、数年前に特撮の話題で気があってフォロー関係になった人は今やほとんどtlに残ってないです。
関係が切れてしまった方たちに対して俺が感じた「友好」は、相手の”人間”じゃなく、そいつの持っていた”コンテンツ性”に対してだったんだと思います。スーファミやチョコエッグと同じなんですね。
このことには昔から薄々感づいていたのか、自分は趣味や好きなアニメ、ゲームが同じだからという理由で人と仲良くしようと思ったことはあまりありませんでしたし大学で同じソシャゲをやっているからという理由で馴れ馴れしく絡んでくるようなの、めちゃくちゃ気持ち悪くて嫌いでした。
関係が切れていない人たちの話もします。
6年仲良くした後学校が変わって8年間音信ゼロの友人ですが、最近格闘技の番組でボブサップと大砂嵐の試合が酷すぎて唐突にその話でLineしてみたらめちゃくちゃ会話が盛り上がった奴もいます。
6年前からのフォロワーだけど共通の趣味は全くないし向こうは週に一回だけ内容がほとんどないようなツイートをする友人も、最近初めて唐突に会う約束をして映画を観に行きました。
なんでここまで太い関係になったのかは全くわからないんですけど、俺はその彼のことが好きなんですよね。
これがコンテンツとしてではなく、人として友好関係を築いた人間との関係なんだと思います。
でもこの誰かに対する「友好の意」、ずーっと人相手だと思っていたらいつかフワッと関係性が劣化して、あっ今までのこれはコンテンツ相手の友好感情だったんだ なんて気づいてしまう日が来るかもしれませんよね。それが多少、怖くなってきています。
このふわっとフェードアウト、学校が変わるとか引っ越すとかならいいと思うんです。だれも罪悪感を感じずふわっと土に還る感じです。喧嘩別れもいいです。喧嘩は立派な別れのきっかけなので。
でも、自分が友好を示して、相手はそれを受けて、そしてなんのきっかけもなく自分が飽きてしまった時、これって相手には関係の残骸とも呼べるようなものが残るだけなんですよね
自分がコンテンツに飽きるタイミングは全くわかりません。チョコエッグを集めてる時は死ぬまで集め続ける気だったし、スーファミは死ぬまで遊ぶつもりで遊んでいたし、今だって映画は死ぬまで好きでいるつもりです。でもそうは行かなかったし、今も怪しい。
人間との関係にも今のこの感情が「人相手だと思ってたらコンテンツ相手の友好だった」と合わせて適用されて、残骸をどこかに留置するような日が来るのではないかと最近思っています。
これが非常に怖いという話でした。